
2006.12にヨメが発病したときから 私は全面的に家事をするようになった。
退院(2007.7)後は体調の回復状況を見ながら少しずつ権限?を戻したが、
なぜか食事の後片付けだけは戻し損ねた。
しかし、退院から約1年経つと 体調が100%以上回復しフル回転でお仕事に出かけるようになった。
元気になったことは嬉しいが、物事には限度がある。 5/7はないだろう・・・。
で、堪忍袋の緒が切れた私は1年ほど前
『お仕事に行った日は後片付けをしない!』
と宣言した。
これで少しはお仕事を減らすかも と期待したが、
敵もさる者引っ掻(か)くもの 全く変化はなかった。
当然私は公約を実行し ヨメも当初は黙々と後片付けをしていたが
やがて 食事が終わってもなかなか後片付けをしなくなった。
結局はするのだが・・・。
当然ゴミ屋敷ならぬゴミ台所と化し 夜遅く仕事から帰ってきた長男が
あまりのひどさに絶句する始末。
それを平然と眺めるだけの勇気?があれば 私の人生は変わっていたかもしれない。
が、気の弱い私にはそのような勇気はない。
疲れて帰ってくる長男に 少しでも気持ち良く食事をさせてやりたいので
食後、テレビを点けたまま ソファーで高鼾をかいているヨメを横目に
無意識に後片付けをするようになった。
夕食の片付けだけでない。気がついたら朝食と昼食の片付けもしていた ということが多くなった。
なお、ここ数年?ヨメに朝食を作ってもらったことは数えるほどしかない。
って言うか 朝食と昼食は99%セルフサービスだ。
真偽の程は定かではないが お仕事仲間ではそれが普通らしい。
見かねた子供達が 『たまにはお父さんに朝食を作ってやれば?』と言っても。
『お父さんは朝が遅いから 作っても冷めるでしょう。だから作らないの』と一蹴。
冷めてもいい。たまにはヨメが作ってくれた朝食が食べたい!
と言ったところで 所詮ないものねだり。無駄な抵抗は止めよう。
残念ながら これが年金生活に入った男達の現実だ。

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